第３０４話 ９０カ国目 カメルーン 「首締め強盗・・・。」  ここで首締め強盗に遭ってしまった。
アラスカ出発 １９９２／４／１〜カメルーン １９９６／１１ カメルーン出国までの走行距離 約９０７３３ｋｍ 
アフリカ走行 １９９６／２／１〜１９９７／５／２８ 走行距離 約２２１０７ｋｍ 
カメルーン走行 １９９６／９／１９〜１９９６／１１／１２ 走行距離 約７９４ｋｍ  |
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１０月７日。天国のような清々しい高原の町ンゴンドレ。ここのホテルに荷物や飛脚号を預かってもらい、首都ヤウンデに列車で向かうことにした。首都ではスライドフィルムの現像や、溜まった日記を雑記としてまとめ、新聞社に送るといった雑用がある。それに、これから向かう中央アフリカ、ザイールのビザを取得しなければならない。おそらく１０日間くらいかかるかもしれない。 宿を後にしてンゴンドレの駅に行くと、乗る予定だった列車は大雨により運行停止と言われ、宿に逆戻りする事になった。しょうがないので１日待ち、翌日また駅に向かった。 「今日もまたヤウンデへは出発できないのか……」 と思ったが、どうやら出発する様子。チケットを買って乗り込んだは良いが、定刻の午後８時になっても列車はなかなか動き出さない。 「今日もだめか。」 半分諦めていたが、乗り込んでから待つこと４時間。列車はようやくガタガタと動き出した。これでひと安心。 座席の中には運賃がタダのような安い席もあったが、そんな席に座って盗難に遭っては困る、無理はしまいと、３０ドルを奮発し寝台車に乗った。部屋は４人部屋で、通路に出る戸は内側から鍵がかけられるようになっている。とりあえずは安心。それでも車内では盗難事件が頻繁に起きると言うから信じられない。寝ているときも、貴重品だけはきっちりと腹部に身に付けて眠る。もしかしたら同部屋の乗客が危ないと言う可能性もある。油断は禁物だ。 真っ暗な密林ジャングルを走っていた列車は、時々、 「ガタッ、ガタッ、ガタガタガタ……」 と停まっては再び走り出す。その音で起こされては眠り、また起きてはうとうと…。何回かそんな事を繰り返しているうちに外は明るくなり、ふと目を覚ました時は同部屋の乗客は皆起きていた。私はハッとして、即座に腰にある自分の貴重品に手を当てた。 「あ、あったか、良かった……」 寝ている間に盗られていないかと一瞬焦ってしまった。 車窓から外を眺めると、爽やかだった高原ンゴンドレ近辺の様子とは一転し、密林ジャングルにと変わっていた。進行方向右手にはサナガ川と言う大きな河が悠々と流れている。アフリカの熱帯ジャングルや、ザイール横断の情景が頭に浮かんだ。それは、猿やワニ、ネズミと言ったブッシュミートを食べながらの走行だ。 「本当のアフリカの旅はこれから始まるんだ。」 かつて見た事もない鬱蒼としたジャングルを車窓から眺めていると、アフリカの山場、深部横断に向け、自分の気持ちが高揚しているのが分かった。 列車は時々小さな駅に停車する。すると、これでもかと言うくらいたくさんの駅近くの住人が、物資を売りにやって来る。オレンジやバナナ、それにバトンと呼ばれるマニオクから作られた餅のような物もある。色々とあり、それが何かを知るだけでも楽しい。窓から体を乗り出して売り買いする様はいかにもアフリカらしかった。 ジャングルの中を走り抜け、いつしか周囲の風景は開けていた。そのうち大きな建物も見え出した。列車は到着予定時刻から３時間余り遅れ、午後３時に首都ヤウンデの駅に到着。 「着いた。ヤウンデだ。」 時間が遅かったが、着いてすぐに乗り合いタクシーを捕まえ、日本大使館へ向かった。タクシーの運賃の相場はまだ把握していなかったので、完全にボラれた気もする。しかし時間をロスするよりはいいと思った。ところが到着してみればすでに閉館。「元気の素」である知人からの手紙を一刻も早く読みたかったのだが、しょうがないのでまた明日来る事にした。 大使館を後にして、私はガイドブックを頼りに、治安の良さそうな地区の安宿を探し歩いた。しかし安くても１２ドル。首都とあってか宿代は高い。とりあえず、その１２ドルの宿に泊まることにした。 宿に荷物を置き、繁華街に出てスライドの現像のできる写真屋を探した。しかし現像できる所は一軒しか見つからなかった。ここでいくらでやってもらえるか値段交渉をする。一気に２０本近くも現像してもらうのでディスカウントをしてくれと頼むと、簡単に安くしてくれた。また電子手帳の手記を電話回線とFAXを使ってプリントアウトしたいので、電話屋やコピー屋を探して歩いたが、どちらも簡単に見つかった。とりあえず時間の掛かりそうな作業は少しでも進んだので良かった。宿に帰ってこの日はゆっくりする。 翌日、朝一番で日本大使館に出向き、日本の家族から送られた手紙を受領した。領事担当の方は長塚さんと言い、とても面倒味の良い人だった。アフリカを旅する自転車野郎のファンでもあるようで、私がモロッコで出会った坂本氏や、それ以前にも通過した自転車旅行者にも、情報や日本食を提供したとの事だった。長塚さんは、これから私が行く先々の大使館の領事の方に連絡を入れてくれたり、何か事件に巻き込まれた場合も対処できるよう、私の存在を知らせてくれた。これなら万一ゲリラに捕まっても、ザイールの反政府軍に捕まっても大丈夫かもしれない……などとも思ってしまうのだった。長塚さんは治安情報や、カメルーン国内、近隣諸国の情勢の話をしてくれ、また熱帯地方における様々な病気の対処マニュアルなども見せてくれた。西アフリカの日本大使館の方々は皆親切で、欧州で会ってきたような事務的な人々とは違い、快く迎え入れてくれる人が多かったように思う。しかし長塚さんのようにここまで色々としてくれる人は９０ケ国走って初めてだった。 手紙を受領した私は、情報提供してくれた長塚さんにお礼を言い、乗り合いタクシーで帰ろうとした。すると長塚さんはちょうど外に出る用事があるからと、私を宿まで乗せていってくれると言う。 「他の旅行者もよく泊まっている安宿があるんですよ。」 と安宿情報も教えてくれた。私の知人もやはりそこに泊まっており、他の旅行者も皆その宿に泊まる事が多いと言うので、ヤウンデの滞在先はその宿に決めた。昨日泊まった宿は１泊１２ドル。リラックスできるが１２ドルはやはり高い。どうせ１週間以上は滞在するのだから、値段は安い方がいいと考えた。名前はフォイェルインターナショナル。ガイドブックにその宿のことは、「ドミトリー形式で一泊４００円程。周囲は危険。」と書かれてあった。宿に戻った私は早速荷物をまとめ、移動する。安いだけあり、建物はまるでお化け屋敷のように見えるのだった。
カメルーン ヤウンデで滞在した安宿、フォイェルインターナショナル。  安宿に落ち着いた私は、中央アフリカとザイールのビザの取得を優先して行う事にした。これらの取得には数日かかり、パスポートをそれぞれの大使館に預けなければならない。なので預ける前に銀行で両替をしたり、パスポートを必要とする他の作業を先に行っておいた。それから中央アフリカ大使館に出向きビザ申請をする。あとは雑記のまとめ作業をしながら、ひたすら時が経つのを待つのみ。現像したスライドフィルムを取りに行き、それのキャプションを書き、辛かったニジェールの手記を電子手帳に打ち込んで雑記としてまとめたりした。 中央アフリカビザが手元に戻ってきたのは、ヤウンデに到着してから１週間経った１０月１４日。中央アフリカ大使館の係官は、 「国境であなたを入れさせない人がいるかもしれないから、この紙を持って行きなさい。」 そう言うとフランス語で書かれたＡ４大の紙を私に渡した。何が書いてあるのかは知らないが、 「この旅行者に賄賂を要求しないように。」 とでも書いてあったのかもしれない。とにかくこれを国境で見せれば簡単に入国できると言った。 中央アフリカの次に進むザイールのビザは、その翌日にいとも簡単に取得できた。多額の賄賂を要求されたりして、ビザ取得は困難だと予想していただけに拍子抜け。
カメルーン 中央アフリカのビザ。 
カメルーン ザイールのビザ。  「よし。これで準備は整った。これから難関中央アフリカ、ザイール越えだ。」 ヤウンデには１０日間滞在した。新聞社に送るための雑記書きも終わり、電子手帳に入った旅の手記は全て電話屋さんでプリントアウトさせてもらった。現像したフィルムも同梱し、ＤＨＬと言う信頼性の高いアメリカの宅配会社で、日本の新聞社に送る。ヤウンデでの雑用は全て終ったので、列車の時刻を確認しンゴンドレに戻ることにした。 「んー、明日の晩に出発しようか、それとももう一日ここヤウンデに滞在しようか。」 これから向かうジャングル、深部アフリカの横断の事を考えると、なぜかためらった。実際にザイールを走った訳ではない。しかし友人松本氏の「耐えてアフリカ」を熟読しており、その横断の苦労の図は私の頭の中にこびり付いていた。それを思うと、 「ここヤウンデでしっかり休息をとって万全の体制で進もう。」 しっかりと栄養をとり、完璧な体調で横断に望みたい。そう思い、あと１日ヤウンデに滞在することを決めたのだった。 翌日１０月１９日、土曜日。 「また明日から厳しいアフリカ走行が始まるのか。」 そう思いながら、ヤウンデで最後の雑用を行った。街には韓国人経営の写真屋があり、ここでスライドフィルムを２０本ほど買い溜めした。スライドフィルムは高いが、大切な記録を残すのにお金をケチる訳にはいかない。貴重な思い出はお金には変えられない。 この日の昼食と夕食は、都会でしか食べられない、栄養のありそうな美味いものを食べようと張り切っていた。田舎を走り出すと、質素な食事を繰り返す。そのため大きな街に着くと、あれもこれもとつい欲が出て食べてしまうのだ。食べ納めという事かもしれない。私は街の喧騒に紛れながら、食べ歩こうと決めた。ふと目にしたのは「チャレンジ」という名のレストランの看板だった。 「これはいい。」 その名前が良かった。ザイール横断を前にとても縁起がいい。ここで食事をする。しかし注文してみれば、ふやけたようなとんでもないスパゲッティが出てきた。これには閉口。がっかりだ。その後、もう一軒のレストランに寄り適当な肉料理を食べ、生野菜サラダを食べた。そしてヤウンデ滞在最後の日だからと、久々に映画まで見に行った。このとき私が見たのは、最新のアクションもののアメリカ映画。フランス語字幕だったが意外にも理解できた。私は主人公にでもなった気分ですっかり満足。映画は終わり、４０円の乗合タクシーに乗り、安宿に帰る事にした。 「明日はンゴンドレ。中央アフリカ目指し、また走り始めよう。」 そんな事を考えながら、宿の近くで降ろしてもらい、近くのパン屋へ寄って、明日の食糧を買った。ついでにヤウンデ滞在も最後なのでショートケーキまで買ってしまった。更にその帰り道に小さなバーで中瓶ビールを１本飲んだ。そして宿に帰るべく、ビールを飲んだ店から２０ｍ程の、勾配のきついアスファルト道を上り切り、小さな畦道を宿の方へ歩き始めた。 「夜はあまり出歩かないこと。通るにしてもこっちの道はだめ、遠回りでもあっちの道を通りなさい。」 宿を管理していたマダムから、そんな忠告を受けていた。にもかかわらずこのとき私は、マダムが「ダメ」と言った方の畦道を歩き始めていた。カメルーンの田舎で素朴な人々に出会い、今まで触れ合った西アフリカの人々の優しさを感じ取っていた私にとって、マダムの言う事は、本当の話には聞こえなかった。むしろこのマダムの方こそ怪しく思っていた程だった。だから街に出掛けるときは、貴重品を部屋には置かずに全てウエストポーチに入れ持ち歩いていたのだった。 主道から奥に入ったその細い畦道は、夜は真っ暗で電灯ひとつ灯らない。近くには保育園のような施設があり、昼間は小さな子供たちが楽しげに駆け回っている。本当に和やかな所…だと思っていた。
カメルーン 宿に向かう畦道の写真。 あと数十メートルで宿に着くと言う所だった。前方から２人の男が歩いて来る姿があった。
カメルーン 前方から二人の男が……。（イメージ図）  危険とも何とも考えていなかった私は、そのまま宿に向かって普通に歩き続けていた。ビールを飲み、片手にはケーキの入った袋を持ち、いい気分で宿に向かっていた。玄関まではもう少し。あと少し歩けば着くと言う距離だった。前方から歩いてきた男二人と擦れ違ったその瞬間、片方の男が私の背後に回ると、 「COMO CA！」（コモサ！フランス語で「ほら、こんなかんじだ！」） と言ったかと思ったら、私の首を持ち上げるようにガッチリと両手でホールドした。 「うう、冗談……だろう？」 最初はからかっているのかな、と思った。中学生がやるようなプロレスごっこみたいな事を冗談で私にしているのだと思った。しかし何かが違う。 「強盗だ、これは強盗だあー！。」 体中が震え、何が何だか訳が分からず興奮した。私は思いっきり大声を出し助けを呼んだ。
カメルーン 私を押さえつける男二人。（イメージ図）  「エデモワー、エデモワー」（助けてくれー、助けてくれー） さっき買ったショートケーキを放り投げ、私は必死で彼らに抵抗した。もし彼らがナイフか、あるいはピストルでも持っていたらグサリ、バンとやられていただろう。強盗に遭ったら絶対に抵抗してはいけない、と言うのは常識だ。しかしこの時はそんな事まで考える余裕などなかった。 「このウェストポーチが盗られたら終わりだ。」 ひたすら抵抗した。真っ先に南米チリで買った高度計付きの腕時計がもぎ取られた。私は力の限り、思い切り暴れ、大声を出した。 「エデモワー、エデモワー！」 ポーチの中には電子手帳を始め、旅行小切手にクレジットカード、キャッシュなど全財産が入っている。 「くそ、絶対に盗られてたまるか！」 大声を出せば必ず助けは来る、誰か来る、そう信じつつ抵抗を続けた。一度地面に転がり、奴らの手から逃れかけた。しかし次の瞬間、すぐに捕まり、二人の男の手によって私の体は地面に押さえつけられ、奴らの思うがままとなってしまった。
カメルーン 転ばされ…。（イメージ図）  ウェストポーチはすぐに取れないように後ろでグルグル巻きにして縛っておいたため、奴らもてこずっていた。一方の私はこれ以上出せないくらいの大声で、ひたすら、 「エデモワー！、エデモワー！」 そう叫び続けた。きっと誰かが助けにくる…。ところが、余りにも私が大声を出し続けていた為に、片方の男は私の首に膝をググっと押さえ付けた。 「ウググ、ゲホゲホ、ゲデモワー……」 掠れ声も出なくなり、息が少し苦しくなった。きつく結んだポーチの紐はいつの間にかほどかれ、ウェストポーチの引っ張り合いとなった。ポーチを握る私の両手だけが最後の頼みの綱となる。 「畜生、畜生、放したら最後だ。この中には電子手帳が、日記が入っている…。盗られてたまるか…畜生。」 腕は延びきったが、放すまいと必死に握り締めて粘った。私がなかなかポーチを離さないので、奴らは何か石のような物を拾い、私の親指をガンガンと叩き始めた。 「放したら終わり、放したら全て終わりだ。」 私は粘った。私の両手も頑張ってくれた。しかし所詮大柄な黒人男と２対１の引っ張り合い。地面に転ばされた私に勝ち目などなかった。ウェストポーチはパッと手から放れ、次の瞬間ポーチを奪い取った男はすぐに逃げ出した。もう片方の男は、 「アレーアレー」（行け、行け、逃げろー） などと言っている。盗った男は素早く茂みの方に走り去って行った。
カメルーン 男は逃げた。（イメージ図）  逃げる男を私は必死に追い掛けた。ところが、格闘して引き攣った体中の筋肉は思うように動かず、いつものようにまともに駆け足ができない。それはまるで夢の中で駆け足をしているような感覚だった。走っているのに足が動かない、感覚がおかしい。逃げた男はとっくにブッシュの中に消えてしまった。追いかけていた私は、 「う、うわっ」 途中ですっ転んでしまった。 「悪夢だ、これは夢であってほしい。」 転んで擦りむいたのか、手の平から血が流れ出した。手の甲からも、そして親指からも流血。私は血だらけになりながら、見付かるはずのない犯人をトボトボ歩いて探し回った。近辺の人に聞いたりもした。しかし見つかるはずがない。首締め強盗現場に戻ったが、共犯のもう一人の男の姿などとっくにどこかへ消えていた。現場に立ちすくむと後悔の念でいっぱいになり、溜め息が止まらなかった。さっきの事件の状況がまるでビデオを再生して見ているように鮮明に脳裏に蘇ってくる。 「はあ、あのとき…。」 後悔先に立たず。強盗事件は起きてしまったのだ。約１０万円相当の手持ちの財産を全て盗られた。手帳も、愛着のあったアフリカのガイドブックも、クレジットカードも、旅行小切手も、現金も。全て……。私にとっては１０万円以上の価値のあるものばかり。 「畜生……終わりだ。どうしよう。」 強盗にあったときに投げたショートケーキの入った袋を、近所の少年がそそくさと拾って大事そうに抱えて持ち去って行く光景が目に入った。 暴れてボロボロにやぶけたズボン。血だらけ泥だらけになって宿に帰った。呼鈴を押すと、宿のマダムが鉄格子を開けてくれた。私の姿を見て、すぐに状況を察したのだろう、 「……だから言ったでしょ。」 「……。」 マダムに電話代を…と言うと、すぐに貸してくれた。これで日本の両親の所へ電話を入れに電話屋さんに向かった。クレジットカードのストップと、再発行をしてもらうように頼まなければならない。電話をすると、 「はい、待井です。」 母が出た。 「もしもし？あ、剛だけど。今カメルーンにいる。あ、あの、ちょっと置き引きに遭ったから、カードのストップと再発行をしてもらいたいんだ。」 「二人組みの首締め強盗に遭った」などと言ったら腰を抜かすかもしれないし、動揺して長電話になると思ったので簡単にそう伝えた。 「とりあえず現金、３００ドル位を郵送で送ろうか？」 父が聞いてきた。 「いや、郵送で現金送るのは危険だから……。アメックスのカードがあればカメルーンのドゥアラで小切手が買える。荷物の中に隠すようにクレジットカードを入れて、ＤＨＬでできるだけ早く送って欲しい。」 そう伝えた。ＤＨＬの送料は高い。しかし海外で一番速く確実と定評のあるワールドワイドの国際便を使えば３日、４日でカメルーンに着くかもしれない。カード再発行の手続きを入れても、最短の場合、１週間で届くかもしれない。 「送り先はどこなんだ？」 再び父が聞くので、 「ヤウンデの日本大使館宛てで。」 と伝えた。受話器の向こうからは、父と母ののんびりとした声が聞こえ、そこから懐かしい信州の平和な光景が脳裏に浮かんできた。 「平和そうだなあ。」 短い会話だったのだが、両親の声が不思議と私に安心感と力を与えてくれた。今さっき首を締められて強盗に遭い、貴重品を奪われた。緊張して体も声も震えていた。ところが両親と会話をしているうちに、その震えは自然に止まり、張り詰めていた緊張もほどけ、さっき強盗に遭った事がまるで嘘のように、遠い昔の出来事のように思えてくるのだった。徐々に冷静さも取り戻していく感じがした。 この連絡を入れたとき、ＤＨＬ以外に両親は、３００ドルのキャッシュを入れた小さな封筒を郵送でカメルーンの日本大使館住所宛に送ってしまっていた。 電話をして宿に戻ると、 「これからどうしようか。」 現実が目の前に戻ってきた。お金がない。パスポートもなければどうしようもない。 「大使館に泣き付くしかないな……。」 ところが部屋に戻ると、貴重品と一緒に盗まれたはずのパスポートが、なんとベッドの横に置いてあるではないか。 「へ？パスポート？置き忘れたのか！」 信じられない。不幸中の幸い。パスポートは無事だった。目の前にあるではないか。これでまた少し元気が出た。しかしお金が一銭もないのでは、やはりどうしようもない。管理人のマダムとは別の宿の夜の番人は、私に慰めの言葉を言ってくれる。しかし、彼の言葉の意味がよく頭に入ってこない。私の頭の中ではさっきの首締め強盗の場面が何十回となく思い出されるだけだった。 「あの時…ああ、畜生…。」 この日の夜はなかなか眠れなかった。 「明日はどうしよう。」 使い込んだ愛着のあるアフリカのガイドブック、それに電子手帳。あの中には雑記とは別の日記も入っている。ニジェールの雑記をプリントアウトした後で盗まれたと言うのはせめてもの救い。しかし他の大切な記録がなくなったのはやはりショックだった。 強盗に遭った翌日１０月２０日の日曜日。お金がなければ気力も、元気もなかった。大使館は日曜日で休みなので何もできない。腹が減っては困るので体力を使うまいとベッドに横になる。夕刻、宿のおばちゃんに懇願し、食事代２０００ＣＦＡを借りた。電話代と合わせると、これでマダムに１４０００ＣＦＡの借金。借りたお金でこの夜、宿の番人と二人で夕食を買いに出かける。パンと魚とバナナ。腹にたまる安い品を購入。番人は私の買った夕食を、 「私も一緒に食べるんだ。」 と言っている。強盗に遭って借金している私に彼は遠慮などしなかった。宿のマダムに借りたお金でもあるので、彼と一緒に食事した。パンと魚などを二人で会話しながらシェアして食べていると、なぜか心が和み、いつもより美味しく感じた。１人で満足するよりも皆で一緒に満腹になる方が気分がいい。せこせこしていた自分が恥ずかしい。彼の満足そうな笑みが印象的だった。 食事を終えベッドに入ると、この日の夜も再び首締めのシーンが脳裏に蘇ってきた。思い出すと興奮してなかなか寝付けない。今回の自転車旅行で最悪の事件だった。
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