第１８９話　６０カ国目　フランス 「春のフランスアルプス、峠越え・・・。」 峠越えを目指し走り始める。でも本当に大丈夫だろうか。 ▼ アラスカ出発　１９９２／４／１〜フランス　１９９５／１１ フランス出国までの走行距離　約７５３２６ｋｍ ▼ 欧州・中東走行　１９９４／６／２９〜１９９６／２／１ 走行距離　約３４１３１ｋｍ ▼ フランス走行　１９９４／１０／１８〜１９９４／１０／２０ 及び　１９９５／４／２４〜１９９５／５／２６ １９９５／１１／１６〜１９９５／１１／２７ 走行距離　約２１５４ｋｍ

屋根付きの空家の寝心地は良かった。雨にも当たらず、ローソクと懐中電灯で、ウォーナーと旅の話などをしながら過ごした夜は思い出深い。ボロ宿だったが寝心地は抜群？だった。 　空家を後に我々は、南仏の港町ニースへと走り始めた。 ▼ 　フランス　豪華客船が停泊している港町、ニース。 　もう少しウォーナーと一緒に走りたかったが、彼はニースから更に西へ進路をとると言う。私は知人から聞いていたニース北部の峡谷を上って峠越え、更にグルノーブル、リヨンを経由してパリへ向かう予定。ウォーナーとの走行はわずか２泊だけではあったが、楽しい思い出を作ることができた。 　別れる前に住所交換をする。 「日本にもまた来てよ。いつでも歓迎するから。」 そう伝える。短い期間だったが、さようならだ。でもまた、いつかどこかで会えるかもしれない。 ▼ 　フランス　海外にも同士はたくさんいる。共通の目的でペダルを踏む我々はすぐに打ち解けることが出来た。ニースの街でウォーナーに別れを告げる。 　それにしてもスイスやフランスには３２歳とか、５０歳、７０歳でも４サイドのバックを付けてサイクリングを楽しむ人が多くて羨ましい。それだけポピュラーなのだろうか。 　ウォーナーと別れてから、ニースの本屋でフランスの地図を買って行く事にした。ドイツの時はかなり大雑把な縮小の地図を買って今一納得しなかったので、今回フランス北上に関しては、１ｃｍが２ｋｍ、つまり２０万分の１の縮小の細かな地図を使う事にした。これだけ細かい地図を見ながら走ると、１日に進む距離も長く見えるのでどこか楽しい。しかし、パリに行くまでには５枚ものミシュラン地図を持ち歩く事になってしまった。 　ニース北部の峡谷を北上して、アルプスを越え、グルノーブル、リヨンを走ることは決まっているが、その後の細かいルートは決まっていない。パリまでは気の向くままに田舎道をチョイスしてペダルして行く事にした。 　地図を購入したので、早速北に向けて出発。ニースの街中の交差点で立ち止まり、地図を見ながら信号待ちをしていた。そこに一人の爺さんが、片言の英語で声を掛けてきた。 「ワシは山岳クラブのメンバーじゃ。」 と言いながら、なぜか知らないが、そのメンバーズカードを見せてくれた。爺さんが何を伝えたいのかは分からないが、私は、 「あ、あのー、私は北へ、パリへと走って行きたいと思っています。」 と言うと、爺さんは私の地図を見ながら、ゆっくりと英語で話し始めた。 「ワシはこの山に登ったぞ。この山はきれいだ。この道はまだ雪じゃ。この道はきれいじゃぞ。」 きれいとか、美しいとか、登ったとか、そんな内容だったが、山好きなじいさんが街中で声を掛けてくれたお陰で、私がこれから走る道は良さそうなルートであると言う事が分かった。とにかく前方にある、「あの山」はきれいなのだそうだ。 　大都会ニースを抜け、バル川に沿って北上していく。街中ではビュンビュンとたくさんの車が走っていたが、次第にその数も減っていった。 ▼ 　フランス　バル川に沿って北上していく。 ▼ 　フランス　美しい木々を眺めながらの走行が続いていた。 ▼ 　フランス　どう言う訳か似たような形をしていた木々。 ▼ 　フランス　徐々に標高を上げて行く。 　田舎道の途中で１軒の商店を見つけたので、ここに寄ってトマト、オレンジ、パン、チーズを購入。しかしこれがまた、お高い値段。やはりフランスは物価高だ。高い高いと嘆いていたイタリアよりも更に高くなってしまった。 　１５００円ほどの買い物をし、小雨に降られながらバル川沿いをどんどん上流へ、山間部に向けてペダルを踏んだ。 ▼ 　フランス　途中見た村の家々。 ▼ 　フランス　谷間をどんどん上にと走って行く。 　標高はいつの間にか６００ｍ。このまま直進すればメルカントゥール国立公園へと入っていく事になる。車の通りも少なそう。４月のアルプスの峠は果たして越えることが出来るのだろうか。雪は当然残っているだろうし。前方に見る雪山を見ていると、次第に不安になってくるのだった。 　走っている途中で地元の人が歩いていたりすると、すかさず地図を出し、 「すみません、この先は走れますか？」 と聞いてみる。すると大半の人々は、 「ウィウィ。問題ないよ。」 と言う。春のアルプスの峠。地図上ではその標高も２３００ｍ。本当に大丈夫だろうか。こんな不確かな情報でここまで走って来てしまう私は何なのだろう。 　この日、峠の途中の林の中でテントを張った。近くを流れていた川の水を汲んで、これで自炊をした。 ▼ 　フランス　このまま上ってしまって大丈夫だろうか。不安なまま峠にと向かう。この日は山の中で野宿。 　翌日、目を覚ましてテントのジッパーを開けると快晴。 「お、快晴だー。」 このところは雨ばかりが続いていたので、朝から感激して準備を始めた。 　青空の下の快適サイクリング、爽やかな空気を胸に吸い込むと、独特の山のいい香りが匂ってくる。美しい峡谷を眺めながらの走行は楽しく、坂道でもそれほど苦にはならなかった。 ▼ 　フランス　今まで走って来た道を振り返った。 ▼ 　フランス　まるで信州を思い出すような風景だ。 ▼ 　フランス　峡谷を眺めながら更に標高を上げて行く。 ▼ 　フランス　坂道でもそれほど苦にはならなかった。 　峠越えに備えて、途中で見つけた小さな商店でフランスパンやパスタのトマトソースを買っていく。しかし田舎とあってか、値段もそれなり。イタリアでは５００ｍｌで１ドルもしなかったパスタソースも、ここでは２５０ｍｌで２ドル。４倍にも跳ね上がっている。 「こんな事なら私もウォーナーのようにパスタソースを作っておくべきだったか。」 物価の高い国にやって来ると、いつも中南米や東欧など物価の安かった国々を思い出してしまう。こんな調子ならフランスでは当面野宿は続くだろう。自然の中の野宿なら良いが、街中で野宿というのは考え物だ。 　フランスに入国して感激したと言えば、フランスパン。作りたてのパンを買って食べたあの感動は忘れられない。まわりの皮はパリパリで、中は驚くほどモチモチしており、中もアツアツ。時間がたてば味は変わってしまうから生ものと言った感じさえする。外側はパリパリ。中はモチモチ。「パリパリモチモチ感」が何よりの魅力なのかもしれない。こんな美味しいパンの作り方を考え出したのはいったい誰なのか。あまりに美味しくて、ガツガツと調子に乗って豪快に食べていたら、パンに血が付いていた。 「うわっ」 パリパリに焼けたパンの皮のせいで、口の回りを切ってしまったのだ。恐ろしやフランスパン。ちぎって口に運びなさい、と聞いた事があるが、これはもしかして口を切ってしまうからか？なんて事も考えたりした。 　この日は一気に２３００ｍの峠山頂を目指す事にした。えっちらおっちらと峠に向けてペダルを踏んで行くと、前方にバリケードと看板があった。 「閉鎖」 と書いてある。やはり無理なのかと、少し残念に思う。しかしガイドブックとフランス語辞書を見ながらよく標識を見ると、チェーンを付けた車ならば良いと言ような事が付け加えられてある。 「これならばたぶん進めるだろう。」 周囲に雪がないので、通れないという実感がわかない。再び前進して峠を目指すことにする。車が通れるなら自転車もきっと余裕で走り抜けられるだろう。 ▼ 　フランス　この先通行止め。でもチェーンを付けた車なら、進んでもいいらしい。 ▼ 　フランス　ここから先が通行止めと言うのはどうも信じられない。 ▼ 　フランス　次第に雪山が近づいてくる。 ▼ 　フランス　アルプスを背景にセルフタイマーでパチリ。 ▼ 　フランス　緑の芝生と青い空と白い雲と雪。気持ちよい春の訪れ。 　セントマルティンと言う小さな村に来ると、案内図があった。そこにしばらく立ち止まっていると、一人の爺さんがやって来た。 「どこへ行きたいんだ？」 と聞いてくれたので、 「峠に。あの山を越えたいんです。」 私は片言のフランス語と英語とジェスチャーで爺さんに伝えた。しかし爺さんは、 「無理じゃないか。」 と言う。 「まさか今更戻る訳にはいかない。でも本当に通過できないならどうしよう・・・んー・・・。」 と案内板をじっと見詰めていると、爺さんは、 「ちょっと待ってなさい。」 そう言って、近くにあったレストランのような小さなお店に、道路状況を聞きに行ってくれた。すると、さっき見た案内板の通り、 「車なら通れる。」 との事。私はすっかり嬉しくなり、わざわざ聞きに言ってくれた爺さんに、 「メルシー。」 とお礼を言い、再び峠への道を走り始めた。 ▼ 　フランス　まるでスイスのような美しい風景が広がっていた。 　手元の地図を見ると、峠道は村から約２１ｋｍもの間続いている。かなりの急勾配も予想されるので、到着は遅くなるかもしれない。進む方角は一応に晴れているが、山の天気だからどこで吹雪になるやも知れない。どんどん標高を上げて進んで行くと、一面が雪で覆われるようになった。 「このまま峠まで走れればいいけど。」 ▼ 　フランス　怪しい天候だ。吹雪か快晴か、どっちとも受け取れる。このまま峠まで走れれば良いが。 　延々とペダルを踏み続け、午後の３時を過ぎ、そして午後４時。ようやく山頂付近にやってきた。あと一息で山頂に着くというとき、先に車で頂上に来ていたフランス人家族が、走っている私の方にやって来た。私の後方に回り込むと、後ろから押してくれるではないか。 「あ、あ、おおおー？」 高校時代に見たツールドフランスのピレネー越えの場面を思い出した。観客が選手の尻を押す、疲れ切った選手を応援する、あのシーンだ。私はヒーローにでもなった気分で、無事に峠の頂上にゴールイン。この日に上った距離は４２ｋｍ。周囲はほとんど真っ白。白銀の世界。この２３２３ｍのコルデラカヨーレ峠の山頂でテントを張って、今晩は一夜を明かすことにする。 　いつも峠の山頂など高い所に宿泊する事を私は好んでいたが、その理由の一つは、美しい日の出を見たいからだった。この日の夕焼けは雲が一面に広がってしまい絶望的。しかし明日の朝は晴れるかもしれない。きっときれいな風景に出会えるはずだ。そんな期待を胸に、雪を踏み固め、テントを張った。 ■ 次のストーリー第１９０話へ▼