第３１話　２カ国目　アメリカ 「いざ、メキシコへ」 メキシコ入国を前にやっと（もう？）１万ｋｍに達した。 ▼ アラスカ出発１９９２／４／１〜アメリカ１９９２／８ 現在の走行距離　約１０６９０ｋｍ ▼ アメリカ走行　１９９２／５／３１〜１９９２／８／１３ 走行距離　約５３２６ｋｍ

自転車が盛んなのか、フラッグスタッフのバイクショップは人の出入りが激しかった。青少年にカップル、家族連れなど、需要もかなり多そうだ。老若男女問わず自転車が盛んだということは実に羨ましい。自転車部品も購入したが、他にもメキシコの地図や裁縫道具なども購入した。私のフロントバックの補強や衣類の洗濯、また雑記まとめ等をしているうちに、時間はあっという間に過ぎてしまった。 　滞在中の楽しみと言えば、やはり町の色んな様子を見て回ることと、ユースにやってきた人々と話すことだった。同部屋で南部のフェニックスからやってきたおじさんは、 「何、自転車でフェニックスに行くのか？暑いぞう。４２度位はあったぞ。」 いかにも暑そうな顔をしてそう言った。また、韓国人のファーという青年はどこから買い込んだのか、インスタントラーメンを１箱分も持ち歩いており、毎食それを嬉しそうに食べていた。そんなユースでの私の呼び名は「マキイ」だった。 ▼ 　アメリカ　フラッグスタッフのユースホステル。ここで私は「マキイ」と呼ばれた。 　町に滞在して、カナダやアラスカのときと同じ作業をする訳だが、昨今ではすっかり言葉にも慣れてきた。この頃になると特に不便することもなく、町での雑用も短期間でこなせるようになっていった。 「マキイ、マキイ、頑張れよ、世界一周。」 フラッグスタッフのユースの管理人に見送られ、私はアリゾナ州都のフェニックスへと南下を急いだ。残りのアメリカ走行を満喫と言うよりは、 「早くメキシコへ・・・」 そんな焦りの気持ちの方が強かったかもしれない。標高が高かったので、フラッグスタッフでは割に涼しく快適だった。しかし、走るに従い標高も緯度も下がっていき、気温はジワジワと徐々に上がっていった。松林を横目に下っていたときはまだ良かったが、更に標高が下がると、熱風とも言うようなそれは気持ちの悪い、 「うっ」 と来るような風が南方から肌に当るようになった。午後の２時ともなれば暑さはピークに達し、ハイウェー沿いのスタンドに飛びこんではジュースを買って飲んだ。頼んだジュース量は４４オンス。１．２リットルのデカデカカップだ。しかし、水分を欲していたので、軽く飲み干してしまった。 ▼ 　アメリカ　日中はとにかく暑い。アメリカ南部の暑さはまだまだこれから・・・。 　走っていく途中では、すれ違う車が、 「ブラボー」 とか、 「イヤッホー」 などと言って私を励まして？くれていた。峠道を上ると、大量に取った水分が大量の汗となって出てくる。そして下りになると、その汗の水分が急激に蒸発し、塩の結晶となる。私の肌は白い結晶でキラキラと輝いてきれいだった。走行中はかなり乾燥していた。 ▼ 　アメリカ　汗は出るが走っていると結晶になる。そんな暑さの中のハイウェーを駆けて行く。 　この日６ドル払って泊まったキャンプ場は大ハズレ。シャワーの足場も汚く、いつまでも溜まった水が流れない。 「あー、全く・・・。」 しかし水シャワーを浴びていると体温も気分もクールダウン。我が家（私のテント）で豆の缶詰めにシーチキンにパンなどを食べていると、日中の暑さやイライラも忘れて落ち着くことができた。 　１９９２年７月２７日。いよいよフェニックスに向けて走り出した。インターステイトと言う、日本では完全に高速道路のような、こんな道を走っていていいのだろうかと思わせるような道だが、ちゃんと標識には、「BIKE USE SHOULDER  ONLY（自転車は路肩のみ）」と書いてあるので愉快だった。 　ハイウェー沿いのレストエリアで休憩していると、ドイツのおばさんがやって来て、 「ねえ、フェニックス行くの？暑いわよー。」 顔を渋くして言った。 「よっぽど暑い所なのか・・・。」 以前まで結構目にしていた針葉樹もどこへ消えたのか、この近辺では、植物はいよいよサボテンに変わってしまった。ソワローと呼ばれるサボテンらしいが、よく漫画や映画で見るようなサボテンが多い。日本の「出」の漢字を基本形にしたようなサボテンで、見るからに暑そうで痛そう。近づいて見ると結構大きいのでびっくりさせられる。 ▼ 　アメリカ　日本の「出」の字形をしたソワローと呼ばれるサボテン。 　ようやくフェニックスらしき大きな町の郊外にとやってきた。市内に入っても変わらずインターステイト走行してると、 「ウ〜ウ〜。」 と警察に止められた。 「ここは走れませんよ。直ちに降りてください。」 と忠告を受けた。ああやって、大きな声でスピーカーで騒がれると余り気持ちのいいものでない。 「オッケー、オッケー」 分かりましたと合図をした。どこまで自転車で走っていいのか表示がなかったため、街中まで来てしまったのだ。 　「した道」を走りながら、大都会フェニックスでのユースホステル探しが始まった。市内に入ってからは果たして何回コンビニに入ったかと思うほど何軒もの店に足を運んだ。水分の取り過ぎで、腹もタプタプ状態。街中の電光掲示板には「摂氏４２度」の表示が出た。 「やったあ４２度だ。」 私は日本では体験できない気温だと、喜んで電光掲示板の写真まで撮った。灼熱のアリゾナ、フェニックスで感動！と言ったところか。 ▼ 　アメリカ　暑さよりも感動の「４２度」 　１軒のコンビニのチャランポランそうなお兄ちゃんに、 「このストリート、どの辺かわかりますか？」 と聞くと、 「ああ、それはもう２本向こうの・・・」 そう親切にしっかりした口調で教えてくれるのが意外だった。 「あんなお兄ちゃんでも、見掛けに寄らないものだなあ・・・。」 　さすが安いとあってか、ユースホステルにはたくさんの旅行者が集まっていた。管理人のおばさんに宿泊値段を聞くと、 「あら、自転車野郎ね。本当は９ドルだけど、５ドルでいいわ。」 みたいな感じで、自転車野郎には特別な割引があるのか、半値程にしてくれたのだった。 ▼ 　アメリカ　フェニックスにあるユースホステルのオーナーは自転車野郎に優しい。 　おばさんに、途中で見たサボテンのことを聞くと、 「あれはあそこまで大きくなるのに７５年もかかるの。採ったらギロチンものよ。」 と教えてくれた。そして地元インディアンたちはあのサボテンの先の実を採って食べるのだとも教えてくれた。 　ユースでの夜は、とても暑くて眠れたものではなかった。クーラーもなく、室内扇風機の風はやって来ないし、周囲のいびきもうるさかった。何度も起きてはシャワーを浴びて体を冷やし、濡れたタオルを体の上に置いては、何とか眠りにつくといった状態だった。 　フェニックスには１泊のみ。翌日は再び南へ向けて出発。暑いの一言でもうろうとして走った。こんなときに限ってスポークが折れ、パンクもし、タオルを頭にかけて炎天下のアスファルトでの修理を強いられた。カンカン照りの作業は本当にこたえる。 　トゥーソンへ向かう途中のレストエリアで休憩をしていると、ドイツ人旅行者が冷たいスプライトを持ってきてくれた。 「かくかくしかじかで、メキシコに・・・」 と、言うと、 「それは危険だ。」 と首切りのジェスチャーをした。そこにやってきたもう一人のインディアン風のおじさん、マリオさんは、 「そんなことはない。メキシコ人はフレンドリーで気軽に家にも誘ってくれるし、旅人には優しい。」 そう言った。 　今まで私は僅か２カ国しか走っていないので、何とも返事のしようがない。カナダを走っていたときは、 「アメリカは危険だ、殺されるなよ。」 と言われ、アメリカでは、 「メキシコ行くのか？危険だ。物を決して盗まれないように。」 と忠告を受けた。 　実際に行った人に聞くと、とても良いとか、とてもフレンドリーだと言う。とにかく隣国だというのに様々な情報や印象が交錯する訳で、どれを信じていいのか、いつも悩まされてしまう。きっと全部が本当なのだろうが、それは偏見的な見方で、実際はやはり自らが行って感じ取るのが１番なのだ。少なくともドイツ人よりはインディアンの言葉を信じたいという気持ちの方がこのときは強かった。 　トゥーソンでは変わり者サイクリストに出会った。私がコンビニに寄ったときだった。結構太目で３０後半くらいの髭もじゃのサイクリストが私に声をかけてきた。 「よお。」 「あ、こんにちは。」 「どっから来た？」 「アラスカから・・・」 「アラスカ!?・・・コーヒーでもどうだ？」 彼の名はボニー。サイクリストらしいが、ちょっと変わっていた。彼は友人に紹介したいからと、大学生のアパートに私を連れていってくれた。大学生は私に聞いた。 「・・・で、この町にはいつまでいるの？」 「明日には出発しますが・・・」 と言うと、笑われてしまった。 「毎日走ってばかりで、それじゃレーサーだな。そんなに急いで楽しいか？もっとゆっくりしていけばいいのに。」 ボニーもサイクリストらしいし、 「この町に来てどのくらいになるの？」 と聞くと、 「１年だ。」 と言われびっくり。ボニーの体は太っており、なぜ体格が良いのかはこの晩すぐ理解できた。彼は私をワッフルハウスに連れて行ってくれたのだ。ここはびっくり、なんと５ドルで食べ放題というレストラン。ハンバーガーからサンドイッチ、ジュースにコーヒー、何でもありとさえ感じさせる店で、食いまくってしまった。ボニーの大食いはさすがの私も降参状態。自分では大食いの自信はあったが、彼とは比べ物にならなかった。 「彼はきっとワッフルハウス依存症にかかっていて、この食い放題の町から脱出できずにいるのだろう。」 私は彼のことについて色々と考えていた。すると、雷の鳴る中、ボニーが、 「私の家に案内しよう。」 と言う。 「え、家があるのか？」 と思いながら彼の後について行った。雨が降りだし、どしゃぶりにと変わっていったが、ボニーは人気の離れた方へとモクモクと走って行った。雷が響きく中、ボニーはどんどんと進んでいき、雨の中に消えかけた。 「どこへ行くんだろう？」 次第に私は不安になってきた。 「もしかしたら、彼は私を人のいないところまでおびき出して、殺して貴重品を奪うつもりなのかも？」 雷と雨のなかを走るボニーの後ろ姿は、空恐ろしく私の目に映った。しばらくして彼は小さなトタン小屋のような所にやってきて、 「ここだ。」 という。 「え？」 小さなトタン小屋に彼は住んでいた。中に入った彼はしばらく出て来なかった。その間に私は、 「もしかしたら、彼はピストルを持ち出して、バン！私は撃たれるのかもしれない。」 怯えながら彼を待つと出てきた。何を取りに行ったのかは分からないが、私は撃たれることもなく、無事だった。結局ボニーの紹介で１２ドルほどのユースホステルのような安い宿に泊まることになった。ボニーとはここで別れた。朝方目が覚めると酔っ払ったような青年が同部屋だった。私が、 「おはよう。」 と言うと、 「フニャララ〜。」 「？」 「メヒコ、メヒコ！」 どうやらメキシコからの青年らしかった。身振り手振りで１０分ほど彼と交流したが、アメリカ人とは随分感じが違った。 　８月１日。インターステイトを走りながら、ニューメキシコ州に入る。 ▼ 　アメリカ　いよいよニューメキシコ州に入る。メキシコも目の前だ。 　アリゾナでは合法だった自転車の路肩走行もニューメキシコではいきなり禁止。 「そんなのは困る・・・」 と、予告なしの禁止看板に対処できずにそのまま走った。どうも州ごとに規則も違うらしい。 　翌日の８月２日、念願のシルバーシティに着く手前で、出発してからの走行距離が１万ｋｍに達した。 「やった。ここが１万ｋｍ地点だ。早いような、短いような、長いような１万ｋｍ。でも、もう終わってしまった・・・。」 ▼ 　アメリカ　目標１０万ｋｍのうちの１０分の１。１万ｋｍ地点を通過。もう１万ｋｍ？ 何か複雑な心境だ。１万キロ記念として商店でビールを買おうとすると、 「ちょっと、あなた、今日は日曜日よ。」 「え？」 どうやら日曜日は禁酒日らしかった。がっかりだ。ユースホステルの宿泊者は私１人。静かに日記などをまとめながら、 「もう、１万ｋｍかあ。」 などと考えつつ床についたのだった。 　シルバーシティからトルースオアコンセクエンセズの町に向けて走った。ここではバイクでメキシコを走ったという日本の組橋さんに出会い、メキシコの情報や話などを聞かせてもらった。 ▼ 　アメリカ　これはハイウェーなのか、一般道なのかはっきりしない。 　組橋さんという日本人がいてくれたおかげで、私はすっかり嬉しくなり、日本語で彼と心行くまで旅の話をした。 ▼ 　アメリカ　ニューメキシコのユースでバイク旅行をしている組橋さんに出会った。 　メキシコ国境へはもうすぐそこだった。しかし、最後の観光地、ホワイトサンズモニュメントは見ておきたかったので、遠回りになることを承知で寄って行くことにした。日の出と夕暮れには、赤とオレンジ、青色や紫などの絶妙な色合いが白い砂をカラーリングする。 ▼ 　アメリカ　ホワイトサンズの砂丘。夕暮れは息を呑むような美しさが。 ▼ 　アメリカ　ホワイトサンズ。 ▼ 　アメリカ　ホワイトサンズ。 　テキサス州はメキシコ国境の町、エルパソ。スペイン語だとこれは通り道、又は通リ過ぎる地、と言えば良いのだろう。字の如く、ここから南にはメキシコと言う国が存在している。エルパソではやはり、ユースホステルに投宿した。日本人もヨーロッパからの旅行者も多かった。 　地元の人の言葉はやはりなまっている感じがする。聞いていても確かに英語だが、どこかおかしい。あれがきっと「テキサスなまり」というヤツだ。と、一人勝手に納得してしまった。 　エルパソで手記をまとめたり、日本の旅行者と旅の話をしたり、最後のアメリカでの、先進国での日々を満喫した。これからはメキシコの走行生活が始まるんだ。私はワクワクしていた。 　ファーストフード店で私が雑記まとめをしていると、何日も洗濯をしていないような服を着た６歳くらいの女の子が私のそばに立った。英語は話せないらしく、じっと私の目を見ている。彼女は手にボロボロの紙切れを握っていた。そこには、 「Can you help me」 と書かれてあった。私は反射的に目をそらし、首を横に振った。とっさの行動が自分でもショックだった。私が初めて受けた、小さな子の物乞いだった。小さな子供が必死に生きている。「何か上げれば喜ぶだろうに・・・。」なぜ何もできなかったのか、可哀想じゃないか。自分にどこか腹がたった。去っていく彼女の後姿を見ていたら、悲しくなってしまった。メキシコにはあんな子がたくさんいるのだろうか・・・。 　出発して１０５７６ｋｍ。次のメキシコとはいったいどんな国なのだろうか・・・。 ■ 次のストーリー第３２話へ▼